1ヶ月休みを取ってたはずなのに
(2025/03/31)
介護の予行練習になってたというおはなし。割とそのまんまな話ではありますが。
2025年2月末を以てこれまでのおしごと先との契約が満了しまして。併せて2025年4月からの新規おしごと(短期案件なので実質シノギのようなもの)も決まっていたので、スキマ1ヶ月間無給ではありますがお休みということになりました。
元々腰痛も酷かったので外に遊びに出るのも難しく、だったら家でストグラとかMリーグとか観ながら、ついでにこれまで手つけてこれなかったアレやコレを消化しつつ、のんべんだらりと1ヶ月暇つぶししましょうか、と安直に考えていたのですが。休みに入ると程なくして、同居してる親の体調が悪化しまして。やれ病院だの介抱だの炊事家事だのとやってたら、矢の如く1ヶ月が経過してしまった次第です。
#詳細に関しては伏せますが、とり急ぎ現状は「要介護」に当てはまるものではありませんので、その点はご安心ください。敢えて言うなら「フレイル」ということになりますでしょうか。本稿ではここまでは踏み込みませんご了承を。
まぁシンプル感想として心身共にキツかったですね。何かやろうとしてもことごとく中断が入りますし、休みの間にやろうと思ってたこと全部削り取られましたってのがひとつ。
もうひとつの方が重いかな。3ヶ月後?あるいは5年後?かはわかりませんけど、本当にもう一度「介護」として生活を捧げることになる未来が確実にやってくるのだな、というのを嫌が上でも自覚せざるを得ない1ヶ月になりました。
無理矢理にでもこれを前向きに捉えるとするならば、事前にこれが体験できてよかったということにはなると思います。ぶっつけ本番で向き合ってたら、こっちが対応できずに潰れていたであろうことが容易に想像できます。考え過ぎずとも「どうやって向き合うか」を思いながら、残り時間を過ごしていきたいと思います。
はい終わり。こら。いや実際のところ論点まとめてしまうとこの分量で話が終わってしまうのです。実際の介護云々に関しては他の記事なり書籍なりあたってもらった方が早いですし正確ですし。
ではこっからどうやって蛇足を積み重ねていくか・・・・を思案して。実際に「家族が元気だったら&私も元気だったらやってみたかったこと」て何だろ?を書き連ねてみます。こっからは打って変わっての軽いテンションでお読みください。ざっくりと書き並べてみると・・・。
- 旅行、ツーリング
- ゲーム
- 部屋の片付け
- 制作(文章書き)
- 勉強(AI環境とか開発関係とかDTMとか)
- 他人との交流(雑談とか)
こんな感じかな?共通して要因と化していたのは。
- 家を離れられない
- 中断に備えなければならない
- 自分自身が集中できない
・・・といったところでしょうか。
個々的にキツいなぁと思えたのはゲームですかね。元々3D酔いもVR酔いも強い体質なので、そもそもとして長くできる訳ではないのですが(4080載せゲーミングPCが遊んでます)。ここに「プレイ中に中断が許されないゲームはできない」という制約が入ることで、すべての対人ゲームがプレイ不可に。雀魂すらできなくなりました。自分が抜けると対戦相手に迷惑かかりますので。
なので数分単位の隙間時間は、ずーーーーーーっとマインスイーパーやってました。令和だぞ今。一人でできるし中断するにも躊躇が要りませんし。とはいえそれでいいのかという点ではちょっと真面目に考え所です。一人でできて中断できるゲームとは?パズルでもいいんだけどね。スリザーリンク大好き。黙れ。
その一方で、それは明らかに己の怠慢だよね?家族の体調を理由にしてやらない言い訳してるよね?という自覚もあり。それは素直に反省点です。
典型例がDTMですねぇ。ちょっと興味が一致したところがあり、2月中にそれなり価格帯のMIDIキーボードと、入門クラスのオーディオインターフェイス買ったのです。計3万円程の出費。ご想像の通り、ものの見事に置物化。ていうか触るどころか繋げることすら放置してますので、置物にすらなってません。はいすいません土下座案件。それはホントにやりたかったことなのか?てのを突きつけられる形となりました。
将来確実にやってくるであろう本番では、これらがよりシビアに選別されることになるのでしょう。介護だけの生活では持ちませんし、趣味全開にする訳にもいかない、更には生きていくためには仕事もしなければならない・・・・・・。難しいなこれ。できんのか?
できんのかじゃねぇよやるんだよ、てのがこれまでの精神論だったと思うのですけど。ここはもっと考えて人生設計して・・・を模索する必要があるのかもしれません。ここで破天荒ぶってオチをつける勇気は私にはありません。それだけトシを取ったということなのかもしれません。いつものしおしおなオチですすいません。オチてません。